ううむ

いろいろと自分がわからないので、棚卸しをしてみる。

中学校までなんら努力しなくても成績優秀で、高校でも一応人が読んでない本を読んで聴いてない音楽を聴いてた、という根拠の無い自信があった関係で、自分は、「何かを理解する」ということにとても熱心だし、価値を置いてきた。いつも、「何か、他人にはわからないものを理解している自分」は、「自分には理解できない何かを理解しているあの人」は、偉いと思ってきた。

典型的な本の虫。知識の吸収することが知識を使うことより好きな人ってことです。

でも、「理解する」というのは、自分が思ってきたほど大事なことじゃないんじゃないかなー。

「自分の心理」「日本/アメリカ社会」「哲学」。わからないことは色々ある。たくさんの人が有史以来考えてもわからないこともある。実体のないものを把握するのはオカルト的だ。社会にも心理にも自分の心にも実体はない。

理解できなくても、したいこととか、好きなことはあって、それを分析しても、それが好きであったり嫌いなことには変わりない。
というか、既に自分が無意識下で知覚していることを言葉に翻訳する作業の精度を限りなく上げていくようなものか。
それはそれで、いいこともある。普段なんとなく考えていたことを明確にするとすっきりするし。

でも、理解できないことで混乱したり、そのことで自分を責めるより、自分が今できることを今したほうが、気持ちがいいだろう。

自分のしたいことすらよくわからないのに、自分のいる環境全体を、少しばかりの言葉と概念と知識で表現しようとしても、そりゃうまくいかないだろう。マルクスみたいな数億人に一人の天才ではないのだから。ロンドン図書館で毎日朝から晩まで勉強したりしないし。

でも、自分が今足りないなと思っていること、自分が知っていることを目の前の相手にわかるように話すとか、大切な人たちの支えになるとかは、理解とか知識とか関係ない。むしろ、相手の言ってることがどうであれ、受け入れる、とか、そういう度量は本で学べるもんではないと思う。