no more existential questions

医者とのアポイントメントをまた逃し、ついに二日前に薬が切れてしまった。
ノーショウはこれで連続三回目ぐらいか。月曜日に電話してまた予約しないといけない。

先週、学内の就職相談所に行って、適正テストの結果の説明を受けた。テストを受けた時の説明と同じでつまらなかったのだけど、何か言おうとしたのか、うっかり「この結果を見ると、私の性格タイプの組み合わせでは、役に立たない被雇用者になりそうですね」と言ってキャリアカウンセラーを驚愕/ドン引きさせてしまった。

自信と自己正当化がとっても大事なこの国(アメリカ)では、こんなこと言うのはそれこそタブーなのだ。

強張った顔で、「そんなこと言うべきじゃない」「それはこのテストの趣旨ではない」とくりかえし言われ、明らかにビョーキの人だと思われて、さっさと送り出されてしまった。


確かに、自己評価が低すぎるとしゅうしょくかつどうにも支障を来すのは事実だ。
なぜ相手が自分を雇用すべきなのか説明しようとしても、説得力がない。
自分は、日本人の大人または日本女性に期待される礼儀は身に付いていないと思うが、体力知力、経験等から見て普通の人間には違いないと思う。それでも、自分に価値は全くないように思える。実際ほかの誰にも価値があるかというとあやしいが、それでも皆、自分は生きている、今いる場所にいる、これから行こうとする場所にいる、べきなんらかの理由があると思ってやっていくのだろう。生まれたからには生きろという人もいるだろうが、自分にはどうも有効だと思えない。何がどうなってこういう心境になったのか、自分自身について考えてみても、はっきりとはわからない。わかったとしても、それは記憶に関わる事で、自分の考え方を変えるには、記憶を操作するかその意味付けを変えることが必要になるだろうが、それは価値体系自体を組み替えることで、かなりの大仕事になるだろう。こう考えると、やはり投薬だけでは十分ではないのだろうし、カウンセリングを受けるにしても、相当時間がかかるだろう。

自分が生まれてきた意味はそもそもないと思っている。生まれてから自分がやってきたことで誇りに思えて生きている価値を見いだせることはない。だから、未来に意味を見いだすしかないのだろう。そもそも、自分自身について、意味があるかないかとか、価値があるかないかとか、問うことを止めたいのだ。